わすれなぐさ

思うこと。

駄文

悲しかったことを思い出しては、
そこから書くことを引っ張ってきていた。

書く楽しみをくれた人がいて
「あの人に届けたい」
が書く理由になっていた。

あの人を忘れたら
何も書けなくなりそうで
それが怖かった。

でも
あの人を心の中に留め置くことが
年々苦しくなってゆき

悲しいことじゃなく
嬉しいこと、楽しいことにも目を向け
それを書けるようになることで
苦しさから自分を逃してあげたかった。

そう決意した直後
あの人からの着信があった。


新しい万年筆を、買いに行く。

おにぎり

「たった一度の人生、気楽に楽しくいきましょう」
小学校を卒業する12歳の私が、母からもらった言葉。

それから10年後、22歳、大学4年生。就職活動は、行き詰まっていた。なんとかしなきゃ、という気持ちと裏腹に、全くついてこない結果。うまくいかないことを予想してはいたのだが先の見えないことがものすごく自分を追い詰め、暗闇の中にある明日を考えることがとても苦痛になっていた。

そんな中、久々に実家へ帰り母と話した。心配だったのだろう、母は遠慮がちに就職活動について状況をうかがう。「まあ、ぼちぼち、かな」とこたえながら目の前の景色がゆっくり、ぐにゃぐにゃと歪む。つらいと思いながらそれまで流さなかった涙が、ぽろ、ぽろと流れてきた。

昔から、人にうまく頼ったり甘えたり、そういうことができない。自分で何とかしなきゃ、でも大変だ、どうしよう……と心の中で日々大戦争を繰り広げていても、それを話せない。母に「あなたが私に一番よく似ている」と初めて言われたのがちょうど12歳のとき。10年経っても、変わらない私がそこにいた。

母は眉をハの字に静かに笑っていた。「帰ったら、食べなさい」と帰り際に手渡されたのは、おにぎり。のりが苦手な私のおにぎりは、ご飯にゴマを混ぜたものと決まっていた。

帰って、銀紙を開ける。私だけのおにぎりが、そこにはあった。思わずほおばる。すると押し込めていた色々な感情が、心の奥底から噴き出してきた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった自分の姿がいつかの母の姿でもあるのかと思うと、なんだかおかしかった。頑張らなければ、とひとりで肩肘張っていたけれど、そこに母の姿を重ねたら、孤独な気持ちがすこし和らいだ。

夜、母から一通のメール「気楽にやりなさい」。本当に気楽に生きてきた人に、そんなことは言えないと思った。重ねた苦労から言葉に込めた願いを掬いとる。10年後の私は、母とどんな話をしているだろう。


終わり。

終われない数字、8の夢

また4/8がきた。8回目。

しあわせを感じられる相手だけが運命のひとではない。わたしがしたいことをさせ続けてくれるひととの出逢いもまた運命。

たとえ苦しいままだとしても、したいことの原動力が《そのひと》であるなら、負の激情とともに生きるしかないのだと8回目にして思う。

蔑ろにされているのに、魅せられている。出逢ってからずっと。
離れられない。忘れられない。消せない。

でも、そうだからこそ、書きたいこと・書けることがあるのも事実。《そのひと》との時間に、あたたかで永続的なしあわせを感じてしまえば、わたしのしたいことはひとつ失われてしまう。それではだめだ。


《そのひと》がいないと、わたしは書けない。
ずっと傷つける存在でいてくれないと、わたしは書けない。

しあわせを感じたとき、崩れる関係。
こういうのもアリだと認めるのは、凄く不思議。
でもすべてこれでよかったと思える。
わたしがしたいことをするためには、このかたちでなければならなかったということなのだろう。


愚、醜、汚、狡、狂、壊、崩、死…
よくみて向き合い、「それでも生きる」を考えられるひとでありたいと思う。
その過程でしたためた言葉で、今度こそ《そのひと》を殺したい。





という、変な夢を見た。

なんでもないこと

3月11日に思いを寄せたひとはもう隣にいないけれど、年に一度思い出すたび、わたしの心に取り憑く亡霊として一生一緒に生きるであろうことを不思議におもう。

矛盾を受け容れる勇気はおありで?

結婚式の日の朝
忘れ物を取りに部屋へ戻ると
おじいさんと、死んだおばあさんが座っていた

おばあさんは若くて美しい時分の姿で現れ、わたしは
ああ、来てくれたんだね…
と感極まり、泣きながら抱擁した
なにも言わなかったけれど、おばあさんも泣いていた


という夢を見た
見る夢にはなにか意味があるのだろうか


昔、現在のパートナーと初めて出会った日に見た夢

元恋人の部屋でうたた寝をしてしまい
起きたら机に置き手紙だけがあった
【わたしはもう大丈夫だから】
そして左手の薬指に美しい指輪がはまっていた





死んだひととも多分一緒に生きている
終わりをつくったのはわたし
いまどこにいて
これからどこにいくのですか?

i've had enough of this place.

いまの彼にとっては、過去のいっさいが、はるか下方、見えるか見えないかの深い底に行ってしまったように思われる。以前の考えも、以前の問題も、以前のテーマも、この眺望全体も、彼自身も、いや、すべてが、すべてがそうなのだ…あたかも彼自身がどこか高みへ舞いあがり、いっさいが彼の視野から消えてしまったようでもある…(『罪と罰』)


今の自分ではもうどうにもならない、どこにもいけない。

今まで自分をかたちづくっていた、人間関係、記憶、考え、振る舞い、装い、全部もう使えない気がして、どうしたらいいか、これからどうなるか、わからなくてこわい。

特に記憶、思い出、過去に消えた人、全部忘れてしまいたい。こびりついた全てを、消してしまいたい。全部全部全部忘れて、白になれたらどんなにいいか。

公園

いまは人影のないその場所には
無数の青が生い茂ります

大切にしたいものは変わってゆきます
だから

ブランコを揺らすのは いまは 風だけ
シーソーのうえに いまは 雨の滴だけ

白く粉吹く 滑り台も 
やがては 姿を消し

すべての記憶は 無に帰ってゆくのです