わすれなぐさ

思うこと。

Christmas

通りすがりのひとの、歴史の一節をききましたので、あなたにも教えてあげましょう。


彼は、恋人に万年筆を贈りました。
ふたりは手紙のやりとりをすることが好きでした。

決して高価なものではないけれど、

“このペンがずっとあなたのそばにいることを…あなたの想いを掬ってくれることを…そしてそれがわたしに届くことを…”

こう想いを込めて、贈りました。


包みをあけた彼女は、ペンを見つめたまま顔をあげず、静かに涙をこぼしました。
彼女の想いはこうでした。

“わたしは知っている。やがてあなたに会えなくなることを、想いが伝えられなくなることを…。

あなたはわたしに教えてくれた。想いを伝えたいひとがいるしあわせを、それを受けとめ愛でてくれるひとがいるしあわせを…。

ただ、もう遅すぎた。
ペンの贈り主はまもなく消える。
ペンはわたしの想いを受けとめてはくれない。
想いがどこにも行けなくなる日は近い。

それなのに。
こんな悲しい贈りものを、あなたは……。”


彼女はそっとペンを置き、部屋の灯りを消しました。彼の手を引き、ベッドの中へ彼を閉じ込めてしまいました。彼女は「彼女の」好きな曲を流し、泣きながら、何度も彼を求め、受け容れ、そのまま眠りました。



その後。
彼のもとに、手紙は届きませんでした。
彼は、彼女を忘れるしかありませんでしたが…

I don't forget that you were here...

あの晩に彼女が流した曲の一節はこうでして、
「今もそうなのだろうか?」そう思うたび、
彼は「ひとりで」彼女を忘れることができずにいる、ということなのだそうです。





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頭のなかの内密の思考

精神的な融合が起こるとき
人は解放され、新たに拘束される。
今までとは別なそれに。

一度融合したら、離れられない。
相手から自由になれないし、自由にできない。
囚われるし、捕らえるし。

ひとつになる、という感覚は
物凄く恐怖。





いつかすれ違った誰かが、教えてくれたことです。

「そのままでいい」わけないです。

過去には「そのままのあなたでいいのよ」と言う人がいたけれど、私は私を【生きているだけで醜い存在】と感じていたのだから、そのままでいいと言われることは醜いままでいなさいと言われるに等しいもので、そのままでいいはずがないのに一体何のつもりでそんなことを言うんだと思ったものだった。


はてどうしたものか、と醜さを持て余していたところ、schizoprenicは教えてくれた。

曰く、日々の暮らしで主導権を握るのは誰か?ということ。

誰もが、とは言わないが、自分の中に【不安定な部分】を持つ人がいるのは特別なことではない。ただ、その不安定さは部分的な話であり、部分をコントロールする別な人が日々の暮らしでの主導権を握ればいいのだ、ということ。日々、病気と付き合う彼らからすればこういう考え方は当たり前のことなのだろう。

醜さは不安定さからくるものと思っていた私は、それが部分であり全人的なものではないという話で非常に救われる思いがした。ありがたかった。

【不安定な部分】のコントロールが難しく、殺さなければならない、と躍起になったりもしたけれど、消えてくれないから今は一緒にいることにしている。不安定な私が顔を出すスイッチを見つけてからは、少し付き合いやすくなっている。

そのままではいられないしいたくなかったので色々と考えた、という、思い出と現在の話です。

愛される、を知って気づいたこと

それは、それまでの自分が
愛されていなかったことを
認められずにいた、ということ

本当に大切な人は
他の何かと比べる対象にはならない

比べた私は、
比べられた私は、

愛していなかったし、
愛されてもいなかった


ただそれだけでした

死から考えた、生きること

前の記事で祖母のことに触れたが

その一週間後に亡くなった。

 

3年半前に脳梗塞で倒れてから、

話すことも、食べることも、できなくなった。

けれど、それまでの祖母とも、それからの祖母とも、

自分が満足するくらいの思い出を作ることができた。

思い出せば祖母の声も聞こえる。

だから、悲しくないし、後悔もしてない。

 

言い方が適切ではないことは覚悟のうえで言うけれど、

死んで焼かれて骨になるその過程は、

ゴミを処理することと、同じなんだなぁ、

それくらい、命の終わりはあっけないなぁ、と、思ってしまった。

命、それ自体に、意味はないかもしれない。

作る努力をするから、意味は生まれるものなのかも。

 

誰かが死んで残るのは、分け合った時間の思い出だけだし、

私が死んで持っていけるのもまた、思い出しかないのだろう。

 

死んだら終わり。

誰かと時間を分け合って思い出を作れるのは

生きているうちだけ。

 

思い出があれば、大切な人が死んでしまっても、

その人とはずっと一緒に生きていける。

 

逆に私が死んだら、

思い出として、大切な人を支えられるかもしれない。

 

だから、大切な人が明日死んでも、私が明日死んでも、後悔しないように、

限りある時間を、大切な人と好きなことをする時間、に配分することを優先したいし

伝えたいことは伝えられるうちに、十分に伝えるように努力したい、そう思った。

 

それから、大切な人と出会えたご縁に報いたいから、

その人が教えてくれたことは、

自分のこれからの人生に活かしていき、

別な誰かに分けていきたい。

 

祖母は私に「人の尊厳」について教えてくれた。

だから今度は、これから出会う誰かの「尊厳」を大切にする、ということに

挑戦してみたいと思う。

それが、祖母と出会い、過ごしてきた時間を、大切にすることに

なるんじゃないかな、と、今は思っている。

 

死を思うと、生きることのシンプルさが見えてくる。

それを見失わなければ、きっと後悔しない。

そういうことを、考えた数日。

 

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ばあちゃん、また会いましょう。

限りある命、大切にします。

ありがとうね。

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