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わすれなぐさ

思うこと。

死から考えた、生きること

前の記事で祖母のことに触れたが

その一週間後に亡くなった。

 

3年半前に脳梗塞で倒れてから、

話すことも、食べることも、できなくなった。

けれど、それまでの祖母とも、それからの祖母とも、

自分が満足するくらいの思い出を作ることができた。

思い出せば祖母の声も聞こえる。

だから、悲しくないし、後悔もしてない。

 

言い方が適切ではないことは覚悟のうえで言うけれど、

死んで焼かれて骨になるその過程は、

ゴミを処理することと、同じなんだなぁ、

それくらい、命の終わりはあっけないなぁ、と、思ってしまった。

命、それ自体に、意味はないかもしれない。

作る努力をするから、意味は生まれるものなのかも。

 

誰かが死んで残るのは、分け合った時間の思い出だけだし、

私が死んで持っていけるのもまた、思い出しかないのだろう。

 

死んだら終わり。

誰かと時間を分け合って思い出を作れるのは

生きているうちだけ。

 

思い出があれば、大切な人が死んでしまっても、

その人とはずっと一緒に生きていける。

 

逆に私が死んだら、

思い出として、大切な人を支えられるかもしれない。

 

だから、大切な人が明日死んでも、私が明日死んでも、後悔しないように、

限りある時間を、大切な人と好きなことをする時間、に配分することを優先したいし

伝えたいことは伝えられるうちに、十分に伝えるように努力したい、そう思った。

 

それから、大切な人と出会えたご縁に報いたいから、

その人が教えてくれたことは、

自分のこれからの人生に活かしていき、

別な誰かに分けていきたい。

 

祖母は私に「人の尊厳」について教えてくれた。

だから今度は、これから出会う誰かの「尊厳」を大切にする、ということに

挑戦してみたいと思う。

それが、祖母と出会い、過ごしてきた時間を、大切にすることに

なるんじゃないかな、と、今は思っている。

 

死を思うと、生きることのシンプルさが見えてくる。

それを見失わなければ、きっと後悔しない。

そういうことを、考えた数日。

 

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ばあちゃん、また会いましょう。

限りある命、大切にします。

ありがとうね。

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